“マジで感じてるのは、 日本人の僕が、.xls .docのZipされた クソ書類を ①作成 ②印刷 ③捺印 ④メール ⑤郵送 してる間に すぐとなりで共同研究してる、インドも、中国も、EU圏の研究員は ボスに、SkypeかSlackで、1行報告して終わり。”
— Shooさんのツイート (via yoshimuraspeed)
“マジで感じてるのは、 日本人の僕が、.xls .docのZipされた クソ書類を ①作成 ②印刷 ③捺印 ④メール ⑤郵送 してる間に すぐとなりで共同研究してる、インドも、中国も、EU圏の研究員は ボスに、SkypeかSlackで、1行報告して終わり。”
— Shooさんのツイート (via yoshimuraspeed)
“ 中日落合博満監督(57)が、球団初のセ・リーグ連覇を成し遂げた。ヤクルトをかわして首位に立ち、優勝マジック1で迎えた18日の横浜戦に引き分けて優勝を決めた。 「野球って何点取れば勝てるんだ?」 ある時、落合監督に聞かれた。答えがあるはずもない。すると、こう続けた。 「10点取っても、11点取られたら負けだよな。でも相手を0点に抑えれば、1点取れば勝てるんだよ。打者なんて、打っても4割届かないんだ。だったら、どっちが確率が高い?」 「守りの野球」-。打撃を極めたがゆえ、その限界を知る3冠王がたどり着いた勝利の鉄則だ。沖縄のブルペンを倍の広さに改造した。トレードも、戦力外通告も投手は極力、回避した。先発野手を決める時、最優先する能力は「守備力」だった。あの立浪も、中村紀も、外した理由は守備範囲の衰えだった。 守りへの執念が最も表れたのは荒木と井端の二遊間コンバート。6年連続ゴールデングラブ受賞中の2人をあえて配置転換した。その真意を今、こう語る。 「あいつら、打球を目で追い始めたんだ。それまでは足で追っていたのに、横着しだして、捕れた打球も捕れなくなったんだ」 当人たちも次第に真意を知った。荒木は言う。 「他の人の目はごまかせても、あの人の目はごまかせない。だから、監督に野球をやめろと言われれば、今すぐにでもやめるよ」 落合監督は自宅にかかっている1枚の絵を指した。「オレは選手の動きを1枚の絵にしちゃうんだ。それをずっと同じ場所から見る。近くで見るとぼやけるから遠くから眺める。そうすると次第に頭や、手があるべき場所からずれてくる。そうなれば、その選手はおかしいということだ」。 守りの野球という方法論を、その眼力で磨き続けた。これぞ落合野球の神髄だと思う。【中日担当=鈴木忠平】”
— 落合野球の神髄 眼力で極めた守備 - プロ野球ニュース : nikkansports.com (via skaholic)
“先生が、授業中に質問をします。普通に「分かるひとー」とだけやっちゃうと、手を上げる子が固定してしまうからなのか、ちょくちょく変則的な当て方をします。「じゃあ、今答えた〇〇の後ろに順番で当ててくぞー」みたいな。 で、当然のことながら、とっさに質問に答えられない子も出てきますよね。あーとかえーーと、とか言いながらしばらく黙っちゃうような子。 普通の先生なら多分、分からないことを責めないまでも、「あ、分かんないか?じゃあ他にわかるひとー」と言って、すぐに次に行っちゃうと思うんですよ。少なくとも、私が子どもの頃の先生はみんな、例外なくそうでした。 ところが、その担任の先生の場合、当てられた子が困っているのを見ると、こういうんです。 「じゃ、〇〇にアドバイス出来るひといるかー?」って。 で、はい!って答えた子は、決してその子本人が答えたりはしないんですね。わざわざ席を立って、分からなかった子のところまで行って、ひそひそ声で答えを教えてあげるんです。 で、最終的には、最初当てられた子が答える。で、先生は「その通り!××(教えてあげた子)もよく教えられたなー」といって両方褒める。 「え、そんなこと?」と思われるかも知れないですが、私、このやり方凄いと思ったんですよ。 ちょっと考えただけでも、 ・最終的に答えるのは最初に当てられた子なので、答えられなかった子の自尊心が傷つけられにくい ・教えた方は単純に「教えてあげられた!」ということで自尊心が満足する ・分からないことを生徒同士で教え合う、という習慣づけになる ・問題によっては、教え方を考えることで問題への理解が深まる ・生徒同士のコミュニケーションにもなる これくらいのメリットはあるなーと。 後から長男に聞いてみたところ、恐らく背景というか下準備として、「人の考えをちゃんと聞いて、考えて、受け入れられるというのは大事なこと」だということを、普段からその先生は言っているようなんです。”
“嫌われるかも、、、という価値基準をとにかく捨てる。 好かれようとしても、きらう人からは嫌われる。嫌われてもかまわない、と思っても、好きになってくれる人は好きになってくれる。相手が決めることを、こちらがやきもきすることは間違っている。 そんなことはやめて、自分のために何かをする。自分を大事にしながら、食事をする、、、水を飲む、、、休憩する、、、 すると何が起きるか。周囲が壁をとってくる。人間関係が楽になってくる。好かれようとするポーズ、それも無理で苦しいポーズが取れて、周囲は自然にあなたに接することが可能になる。 けっきょく、人はこちらの無意識に反応するのだ。好かれようとすると、その不安を見抜かれる。そしてそれをエサにしてずるがしこい人がやってくる。 それが鬱の原因であり、それがわからないと再発することにもなる。鬱はガン同様、生活習慣病なのだ。 ひとつずつ、習慣を変えていけばいい。 好かれたい、、、という動機でとにかく行動や言動をしないこと。鬱の人は普通にしてれば好かれる人です。”
— マドモアゼル・愛のぶらりブログ (via shusdiner)
“ペリーの日本遠征に随行した画家の「下田の公衆浴場」という絵には、全裸の男女が秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若 年や中年の男女が多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことがみてとれる。この絵を見たアメリカ人は日本人を「淫猥な人た ちだ」といい、フランス人は「日本人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」といって驚き、そして軽蔑した。 150年前の日本では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは普通だったのだ。江戸時代の日本人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても平気だった。 江戸時代の日本人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかにされる。若い娘が道端で裸で行水をしているのを見て度肝を抜かれた 外国人の日記や、坂本竜馬が妻(お龍)と男の友人の3人で京都の混浴浴場へ出かけた記録など、現代人の感覚とはかなり異なる意識が常識だったことがよくわ かる。 ところが開国によって西洋文明の視線にさらされたとき、明治政府はこの風習を西洋に劣るものとして改めなければならないと考えて「裸体禁止令」を法律で定めた。また登場したばかりの写真技術が裸体を日常品の裸から、鑑賞の対象物としての「ハダカ」へ移行させた。 「明治政府によって強制的に隠された裸体こそが「見るなの座敷」であった。そしてこれが正しいとすると、神話や昔話が説くように、隠された裸体は覗 きたくなり、やがて約束は破られる───。明治から現代に至る日本人の裸体は、まさに神話や昔話と同じストーリーをたどることになる。」 隠されれば見たくなる。そしてハダカは性と結びつき欲望の対象へと変化した。見られる方も、隠すことが常識になった途端、人前にさらすのが恥ずかし くなる。それまでのオープンさの反動のように、明治の日本政府は裸体に対して敏感になり、禁止や検閲を厳しくする。人々の意識は大きく変容し、明治も26 年にもなると画家 黒田清輝が女性の水浴びを描いた「朝妝」が風紀を乱すものとして物議をかもした。政府ではなくメディアと世論が裸体画に異を唱えていた のだ。 性が再び解放された現代でもアダルトビデオでは秘所をモザイクで隠している。そもそもハダカが商品になること自体が、この明治政府の西洋化政策の影 響の延長にあるといえるだろう。私たちは、異性のハダカに欲情してしまうことを、自然の摂理だと思いがちだが、実はこの日本においては、つい150年前ま ではそうではなかったという意外な事実がわかる啓発的な本だ。ハダカヘの欲情は文化発祥なのだ。”— 裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 - 情報考学 Passion For The Future (via ssbt) (via gilthazami) (via uessai-text) (via harunoriyukamu) (via hexe) (via shinoddddd, shinoddddd) (via yasaiitame, yasaiitame) (via yaruo, yaruo) (via toutiku-m44, toutiku-m44) (via yasaiitame) (via yaruo) (via taisukeorg, taisukeorg)
(via nobby0-0)
(via hirotakajp)
(via psycho-soda-pop)
“コミュ力のある友人(リア充、彼氏いるのにモテる)に訊いた。「あのね、ネガティブなことは言っちゃだめだよ。 『でも』とか『違うんです』とか、笑って言うならいいけど」「で自分がどう思うのか、どう感じたのか、明るい感情なら素直に出すの」「なに考えてるか分かんないひとといても困るじゃん、つまんないじゃん」「でね、話題がなかったら相手の好きなもののことを訊くの。 好きなもののことで不機嫌になるひとはいないでしょ」「それと相手が自分に訊いてきたことは、こっちも訊いていいってことなんだよ」「で一番大事なのは相手の気持ちを考えることね。 話に飽きてないかな、とか、私のテンションと温度差はないかな、とか」「あとは締めるときは締めることね。 普段よく喋るけど、メールはきっちり丁寧に書くとか」リア充ってすげーな…”
“まずはおめでとう。7億は人生を買えるお金で、あなたは賢く立ち回れば一生労働しなくて良い身分になった。しかし、今までは無縁だった危険と隣り合わせになった事も自覚しなければならない。まず、当選した事を10年は隠し続けなくてはならない。誰にも言ってはいけない。例え親兄弟恋人だろうが例外は無い。身近な人がお金に困っていても、絶対に出してはいけない。例え親や嫁や旦那が借金取りに追われようが出してはいけない。(債務整理が得意な弁護士を紹介してあげるのは良い)この2つを破ると、あなたは破産への道を歩み出す事になる。そして使い方について。まず奨学金だが、月々普通に返していけば良い。奨学金の利子は低額なので、借りている方が得なのだ。真っ先に不動産に手を出すのは愚策。まずは今の所の1.5倍くらいの家賃の家を探せ。都内なら2倍でも良い。そして自分の中で心地よい住まいのイメージを固めてから、ローンを組んでマンションを買え。定期に1億も放り込んでおくか、あるいはローンと同額の国債を担保に入れれば、低金利で金を貸してくれる銀行はいくらでもある。何故借りるかと言えば、住宅ローン減税を使うためだ。銀行に相談したらなんぼでも教えてくれる。両親に仕送りは絶対やめろ。そこから足がつく。7億は大金だが、身内にバレれば一瞬で消える程度の端金でもある。お前の親が老人ホームに入る時、年金暮らしで生活がキツくなる時まで仕送りはするな。良かれと思って親に仕送りを始めると、親がもらえるのが当然と思いだす。その後はバレ→身内総出タカリのコンボが決まるぞ。家電、円盤、お絵かきは好きにしろ。自己消費の分はよほど派手に使わないかぎり問題無い。ただし、友人にバレると最悪命の危機まで有るから気をつけろ。億の金を○してでも奪いたい奴はこの世にいくらでも居る。定期預金はおすすめしない。住宅ローン組むまでは不要。普通預金に7億入れると営業電話がクソうるさいが、絶対にかけてくるな営業するなやったら別の銀行に預金を移すと言え。あ、地方銀行や信金は万が一が有るので、メガバンクに入れとけよ。お金を増やしたいなら、まずはNISAと確定拠出年金を勉強しろ。ファンド大賞に常時入っているファンドに毎年放り込め。同人誌を書いて暮らしたいのなら、小規模企業共済も調べろ。最終的には優遇措置使いながら1.5億ずつ投資信託、固い株式、REIT、外貨建MMFに分散出来る知識が欲しい所。難しく考える事は無い。あなたには時間もお金も十分有るのだから、10年かけて学ぶつもりでやればいい。分散投資が出来るようになれば、あなたは同人誌を書きながら手取り1200万(年収換算コミコミで2000万くらい)の生活が出来るようになる。元手を崩さずにこの生活が出来るようになるのを、向こう10年での目標とすれば良いのではないかと思う。まずは、使い方がわからないなら口座に預けて落ち着け。大金が入った直後は一番危ない。それは口座に入っただけで、ほんとうの意味でのあなたのお金にはなっていないのだ。金が自分に定着するには10年かかる。逆に言えば、10年後6億数千万残っていれば、それは本当のあなたのお金だ。多少金持ってるオッサンからのアドバイスだ。たぶん金持ちに聞けば同じような答えが返ってくる事しか言ってない。まずは落ち着け、そして自分以外に使うな。これだけは絶対に守れよ。追記社債とか言ってる奴が居るが、このご時世会社なんていつ潰れるかわからん。「卵を一つのカゴに盛るな」は投資の大原則。分散投資を理解するまで社債に手を出してはいけない。”
“・まったくオリジナルのアイディアなんてものはない。 ほとんどのイノベーションは、 これまでは関係ないと思われていたものを組み合わせて 「待てよ」「あり得るぞ」と感じることからはじまる。 その組み合わせは偶然である場合もあるし、 意図的にそういうことを試みる場合もある。 もともと、いかにも関係ないように思われていた 組み合わせだから、まずは違和感が生じる。 とても変だったり実現不可能に見えたりすることだろう。 さて、ここここここからが知恵の使いどころである。 その違和感は、もしかしたら価値になるのではないか? その実現不可能性は、どういう理由でなのか? そういうことなら、ある程度ではあっても、 天啓とかでなく、ふつうの理性で考えられる。 ダメだとわかっても忘れなくていいし、捨てなくていい。 漠然とどこかに取っておけば、 また新たな組み合わせの材料になるかもしれない。 そして、「待てよ」と考えた領域は、すでに それまでよりも広くなっているはずだし、 「あり得るぞ」と感じたことは、少なくとも、 じぶんを含めただれかへの新しい問いかけになる。 さらに考えを進められたり、実験なんかができたら、 いままでなかった魅力的なものごとが、 ほんとうに世に現れるということにもなる。 昔むかしのじぶんのメモを見たら、 「もう犬のフェイスブック、猫のインスタでもいいか」 と、自棄っぱちのように記されていた。 いまは実現している「ドコノコ」のコンセプトを、 なんとかかたちにしようと悩んでいる時期だった。 まだ、仮称「KAZOKU(かぞく)」としているころで、 テーマにも妙に啓蒙的なものがあったと思う。 この頭でっかちを乗り越えてたのしさが出てきたのは、 犬+フェイスブックという雑な組み合わせからだった。 そんなの意外でもないよとか、まねかよとか、 言いたい人は言うだろうが、実際にこのあたりから、 なにかがすっと明るく見えるようになったのだった。 ぼくは、このところ、「組み合わせ」の方法を、 けっこう本気で考えるようにしている。 今日も「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 「待てよ」「あり得るぞ」あたりから目が覚めてくるよ。”
